2025年6月22日日曜日

ノスタルジア

 六本木駅の喧騒から少し離れ

ビル街の間の細い路地を入ってゆくと

少し小さなBarが佇んでいる

薄暗い景色に身を重ねるように

しっとりとしているのに温かい雰囲気がある

 

中に入るとカウンターに5つの椅子が並び

決して広くはない店内だがそれが逆に

大都会にもまれた心を落ち着かせるようだった

私はカウンター席に座り酒を頼んだ

 

綺麗に髭を整えている50代くらいの男が

ここのマスターのようだ。

昔の男の強さを感じさせるような風貌だった

 

そして奥から2番目の椅子に座っている女が一人

20代後半~30代前半だろうか長い黒髪が

薄暗い店内のノスタルジアな電飾に綺麗に映える

 

どうやら何か揉めている様子で

女は顔色がいろいろな意味で良くなかった。

男はグラスを磨きながら聞いていて

半分は茶飯事のように聞き流す風だった

 

目の前に差し出された飲み物に

女が一口くちをつけた途端声を荒げた

 

 

「ちょっと!!何よこれ」

 

女は男の目の前にそれを付き返した

 

「何って、オレンジジュースだが?」

 

男はグラスを磨いたまま悪びれる様子もなく答えた

 

「私はカクテルを頼んだの!!

 ジュースじゃないの!!作り直してよ!!」

 

どうやら注文した飲み物と違う飲み物が

出てきたようで、女の怒りもごもっともだ

だが男は女の言葉を無かったかのように

黙々と作業を続けながら静かに答えた

 

「お前さんは何にそんな怒っているんだ?

 私は女が怒りに任せて酒を飲む姿が嫌いでね

 お前さんには特にそうして欲しくはない」

 

そういう男の言葉を聞く限りでは

女は常連か何かで男と顔見知りか。

しかし客の注文に違うメニューを出すなんて

よほどの親しい仲なのか・・・それとも男が愚かなのか

 

「どいつもコイツも女だからってナメて!!

 何なの・・・あの男だってそうよ・・・

 上司は上司で女だからって鼻にかけているから

 仕事がもらえないんじゃないのかなんて!

 そんなの男女差別じゃない!!バカにしないでよ!!」

 

さっきまで顔を真っ赤にして怒っていた女が

今度は少しだけ声が、か細く震えていた。

 

「そうだね。仕事が貰えないのはお前さんが

 女だからじゃない。能力がないからだろうね」

 

「・・・っ。」

 

これほどかってくらいの皮肉を男から言われ

女は言葉を無くした様子だった

 

「おや、今度は黙るのかい?

 お前さんが人をバカにする言葉を言うのは良くて

 どうしてお前さんに向けられる言葉には

 そんなにも敏感になれるんだい?

 そういう無責任で自分勝手なところが

 先方さんに見抜かれているんではないのか?」

 

「何よ・・・何が分かるっていうのよ」

 

「あぁ。そんなお子様な考えは分からないよ」

 

その言葉を聞いた途端 女は目の前の手拭きを

男に目掛けて勢いよく投げつけた。

男の右肩にあたりくたびれたように床に落ちた

それを男は拾い上げ

少し深い眼差しで女を見つめ返し口を開いた。

 

「投げられたこれはお前さんのようだね」

 

「どういう意味よそれ」

 

「拾い上げてあげないと汚れたまんまで虚しいって事だよ」

 

深い目をした男は静かにでも重く女に話しかける

女はその言葉を聞いて少し目を見開いた。

 

「マスター…。何で今日はそんなひどい事ばかり言うの?」

 

いきなり、しおらしくなった女が尋ねる

女心と秋空は何とかというが、まさにその通りである

さっきまで怒り狂っていたかと思いきや

今目の前にいる女は少し寂し気にさえ見えてくる。

 

そんな女を見つめなおして男は優しい声で尋ね返した

 

「ん?どうしてだと思う?」

 

「・・・・。」

 

女と男を暫くの間沈黙が包み込んだ。

女が暫くして、か細い声で沈黙を破った。

 

「分からない・・」

 

その返事を聞いた男の口元が一瞬緩んだ

 

「お前さんが初めから怒りや負の感情を

 そのまま私にぶつけてきたからだよ

 だから私はお前さんに負の感情を返した

 どういうことか分かるかい?」

 

「私が怒ってたから悪いの?」

 

「いや、何も怒る事が悪いとは言っていない。

 ただそれを無条件に他人にぶつけてしまうのは

 良くないね。そういう事をしているとこんな風に

 自分に全部同じ感情を返される事になるんだよ」

 

相も変わらず男は淡々と

でもどこか優しさを含んだ言葉を

女に畳み掛けるように伝える

女は男の言葉をただ静かに聞いていた。

 

「お前さんが人をバカにするからバカにされる

 怒りをぶつけるから怒りを買う

 感情を人にぶつける前に少しは考えなさい

 自分でそういう部分が悪い部分だと分かってるだろ?

 だったら少し感情をぶつける前に落ち着きなさい」

 

「別に嫌われても・・・いい。」

 

「お前さんは・・困ったねまったく。

 私の話を聞いていたかい?

 それにお前さんは必死に嫌わないでって

 駄々をこねている様にしか見えないぞ?」

 

「・・・。」

 

男の言葉を聞き終わらないうちに

女の顔色がみるみるうちに紅に染まる

店に来たときのような怒りからの頬の染まりではなく

どこか本心を掴まれた恥ずかしさのような

少し女の心の内側が垣間見えた。

 

「嫌われる事なんて今更怖くないわ

 生まれた時から実の母親から存在を嫌がられてきたのよ

 今更他人に嫌われた所で何ともないわ」

 

伏し目がちに答えた女の言葉は

やはり少し寂しそうに聞こえた。

まるで自分の口から発する言葉で

自分を納得させるかのようだった。

 

今まで静かに女の言葉を受け止めて

女に丁寧に言葉を返した居た男が

少し感情的になったのか

先ほどよりも強い口調で女に問いかける

 

「心から本当にそう思ってるのかい」

 

男の言葉に迷う事なく女は答えた。

まっすぐに男の目を見つめて

 

「そうよ。」

 

 

男は女に背を向けてまた静かに言う

 

 

「お前さんはそれだから成長できないんだろうな

 まぁお前さんの人生だから私は何も口を出さないよ

 そうやって手に入らないモノに対して

 ずっと意地を張って自分から逃げていればいい

 それが一番楽な逃げ道だろうからね

 これ以上私からお前さんに伝える言葉はない」

 

男はそれ以上は口を開かず

女がさっき注文したカクテルを

静かに女の目の前に差し出した。

 

「どうぞ。ご注文のお酒です。

 大変遅くなって申し訳ありません」

 

急に他の客と同じように接する男の態度に

女は戸惑いを隠せない様子だったが

目の前に差し出されたそれを手に取ると

口には運ばずじっとグラスを見つめていた。

 

「皆そうやって私から離れていくのよ

 マスターだって面倒くさいと思ったでしょ

 だけど今の私は今のままの私でしか生きられないの」

 

男は女の言葉に対して口を開く事はなかった。

 

 

「ねぇ。マスター迷惑かけてごめんね

 もうここにも来ないようにするから」

 

 

一口も口にしていないグラスをそのまま置き

女は立ち上がって店の出口へと足を進める

出口から出ていくはずの女の体が

急に強い力で後ろに引っ張られた。

 

男が女の腕をつかみそこに立っていた。

 

 

「なに?」

 

女は振り向かずに男にそう答えた。

 

「お前さんは何をそんなに怖がってるんだ

 周りの人間が離れて行っているんじゃない

 お前さんが周りの人間を寄せ付けないんだろう

 こんな風に自分の本当の気持ちを見ないフリして

 その気持ちからも周りの人間からも逃げて

 そんなお前さんの姿をみて苦しくならない人間が

 いると本当に心から思っているのかい」

 

男の言葉を聞き終えた女が振り返った。

その目にはとめどなく溢れる涙があった。

 

男はそれ以上何も言わずに女をただ見つめていた。

 

「どうすれば愛されるか…分からないの」

 

俯き、か細く答える女の肩は震えていた。

男はしばらく女を静かに見ていたが

その肩に手を置きゆっくりと話しかける

 

「少しの間泣かせてないとこの有り様だ」


その言葉を聞くと女は耳まで赤くして首を横に大きく振った

そんな女の様子を見て男は手を強く引き

奥の部屋まで連れていった


これから何が始まるのだろう

私は店に入ってから1杯の酒を頼んだまま

まるでドラマを見ているように

時の狭間に吸い込まれていた


暫くすると奥から乾いた様な音と男と女の声が聞こえた


「ちょっとマスター!私もう子どもじゃないわ」


「私には充分子どもに見えるがね。」


「早く素直にならないと終わらないよ?」


ぱんっ!ぱんっ!


「やだ。やめてよ」


ぱんっ  ぱんっ!「辞めて欲しいのは分かる」


ぱんっ 「でも、それで辞めて貰えた事はあったかい?」



私はすぐに奥の部屋の状況が分かった

そして溶けてしまった氷で薄くなった酒を

ちびっと喉へ運んだ

帰った方がいい。そう思いながらも足が動かなかった

昂るこの気持ちが何か分からなかった

そんな葛藤の中でも奥の部屋の状況は変わってゆく


「マスターっ、辞めてってば」


ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!


「悪かったと思ってるのかい?」


「分かったからぁ。もう分かった」


そう女が言っても音が鳴り止む事は無かった


「感情的になって自分を振り回すのは辞めなさい」


「そう何度も言ってるだろう」


ぱんっ!ぱん!


「辞めるからっ!おねがいっやめて」


「ごめんなさいが聞こえないね?」


「ごめんなさぃ・・・」


男が叩いているであろう音と女の声が反比例するように

変化してゆく

私は一気にノスタルジックな世界にトランスした

昔両親が自分を見て育ててくれた日を思い出した

男と女の行動は到底理解し難いものだったが

きっとこの気持ちが女を癒しているのだと思った


「ちゃんとお前さんを見てるから」


「うん・・・」


「だからすぐに駄々をこねないの。分かったね?」


「はぃ。」


そんな会話が聞こえ少しして奥から2人が出てきた

女はすぐにトイレに入っていき

男は私に何事もなかったかのように注文を聞いてきた

変な夜だ

変な夜だった

だけれどとても素敵な夜だった

誰にも言えない秘密を抱えた私は

何故か明日も頑張って生きていける気がした

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